290年前の5月13日に誕生した、ハプスブルク家の女帝「マリア・テレジア」は、オーストリアに強大な権力を持って君臨していました。その彼女がオーストリアのなかでも特に愛したのがインスブルックの街だといわれています。
メインストリートにはその名が付けられ、この街の入り口にそびえるマリア・テレジアの命によって作られた凱旋門は、現在も観光客に人気のスポットです。
この建造物は、もともとマリア・テレジアの息子レオポルト2世の結婚を祝して創建されたものです。しかし、その建設中にマリア・テレジアの最愛の夫、フランツ1世シュテファンが突然亡くなってしまいます。あまりに嘆いたマリア・テレジアは、計画を急遽変更し、門の北面に哀悼の意を刻むことにします。そうして完成した凱旋門は、南側に息子たちへの祝福を象徴する「生と喜び」をモチーフに、北面に夫の急逝を激しく悼む「死の悲しみ」をモチーフに描かれました。
この後、自身が寿命を終えるまでの15年間をずっと喪服で過ごし、没後も生前に残した遺言によってフランツ1世シュテファンと同じ棺に入ったマリア・テレジア。彼女が残した荘厳な凱旋門は、息子を慈しむ母の愛と、夫を思う壮絶な悲しみの込められた建造物となったのでした。
メインストリートにはその名が付けられ、この街の入り口にそびえるマリア・テレジアの命によって作られた凱旋門は、現在も観光客に人気のスポットです。
この建造物は、もともとマリア・テレジアの息子レオポルト2世の結婚を祝して創建されたものです。しかし、その建設中にマリア・テレジアの最愛の夫、フランツ1世シュテファンが突然亡くなってしまいます。あまりに嘆いたマリア・テレジアは、計画を急遽変更し、門の北面に哀悼の意を刻むことにします。そうして完成した凱旋門は、南側に息子たちへの祝福を象徴する「生と喜び」をモチーフに、北面に夫の急逝を激しく悼む「死の悲しみ」をモチーフに描かれました。
この後、自身が寿命を終えるまでの15年間をずっと喪服で過ごし、没後も生前に残した遺言によってフランツ1世シュテファンと同じ棺に入ったマリア・テレジア。彼女が残した荘厳な凱旋門は、息子を慈しむ母の愛と、夫を思う壮絶な悲しみの込められた建造物となったのでした。
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