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メキシコ / メキシコの鉄人が行く! 旅日記 〜 「タイルの家」の物語−その2 〜

掲載日時:2008年07月04日

情報提供:株式会社メキシコ観光

前回の話から続く、メキシコが誇る文化遺産「タイルの家」の話の第2話となります。
(前回の話は、下記URLをご参照ください)
 第1話 http://www.otoa.com/home/news_ditail.php?serial=13785

この「タイルの家」に初めて訪れた日本人は、伊達藩の支倉常長であったと聞きます。
1614年の3月下旬、支倉常長の遣欧使節団はメキシコ市に入り、現在 レストラン・ザンボーンズになっている「タイルの家」に滞在したと言われています。
この「タイルの家」は私邸で、持ち主は約300年にわたるスペイン植民地時代を通し、最も古く富裕な家系の一つに数えられるビベロ伯爵家でありました。
なぜ、常長一行はビベロ伯爵の私邸に宿泊する事になったのでしょうか。又、なぜ、ラテン・アメリカの他の国でなく、メキシコに来たのでしょう。
それはビベロ家を「伯爵家」にならしめた初代のロドリゴ・デ・ビベロが、千葉県御宿沖に漂着した事に由来します。

当時、スペイン領であったフィリピンの総督であったロドリゴ・デ・ビベロは「任務を果たしマニラ港よりアカプルコへ向かう途中の1608年9月30日、台風に遭い75日間漂流した末、船は難破、船のロープにしがみついて日本へ漂着した。」と、後日、彼の記した「日本国事情」(筆者訳)にあります。
「フィリピン」(西語: Filipinas)という国名は、スペインがフィリピンを征服、植民地とした時(1571年)のスペイン王 フェリペ二世の名にちなんでいます。

ここでスペインの植民地支配について、少し触れてみましょう。
コロンブスの「新大陸発見」(1492年)以後、スペインはラテン・アメリカの征服に乗り出しました。コロンブスは合計4回(1492〜1502年)もキューバを中心に航海していますが、死ぬまでそこをインド近海の諸島だと信じておりました。
そして最後の航海でたどり着いた中南米海岸を、中国沿岸だと思い込んでいたと言います。しかし「新大陸」である事が確認されるやいなや、コロンブスの息子であるディエゴ・コロンブスを筆頭に多くのスペイン人が新大陸の征服に乗り出したのです。
1500年初頭には、ハイチ、ドミニカ、プエルトリコ等が征服され、1514年にキューバ、1521年にはメキシコ、1535年のペルー、1571年にフィリピンがスペインの植民地となりました。ビベロ伯爵が日本へ漂着した時は、ブラジルを除くラテン・アメリカのスペインの支配は、既に完了しておりました。

スペインの支配は、金銀鉱山の採掘にインディオを狩り出し、奴隷化によってわずか数年の内にハイチ、ドミニカ等の西インド諸島のインディオはほぼ絶滅。サトウキビ栽培のプランテーションが開始されると、労働力としてアフリカから黒人奴隷が「輸入」され、こうして黒人中心の国々が誕生したのです。

さて千葉県御宿に漂着したビベロ伯爵の「日本国事情」に話を戻しましょう。
彼は「自分と共に漂着した日本人キリスト教信者が、我々が日本に着いた事を教えてくれた。彼はここの村人に、私がフィリピン総督でメキシコに戻る途中台風に遭い漂着したと伝えた。」と記しています。
ビベロ総督一行370人は手厚くもてなされ、後に初代征夷大将軍 徳川家康、そしてその子である2代将軍 徳川秀忠への表敬訪問の旅に出るのです。ここで、彼の道中の記述から、日本の印象を抜粋してみましょう。

「行く先々で、好意をもって迎えられた。Los grandes senores(大名の事?)の部屋は木で造られ、金銀や様々な色彩で優雅に飾られていた。又、その軍備たるや王にも勝るもので、とても一貴族のものとは思えないほどであった。
Surunga(駿河の事)に到着する。人口は12万人。住民は外国人の到来に大騒ぎをしていた。天皇様(徳川家康の事)は奥深く住まわされ、3重の扉が彼を守っていた。その警備の厳重さは、王子様(徳川秀忠のこと)をしのぐほどであった。
天皇様は青いビロードの椅子に座り、その左側に全く同じ椅子が私のために用意してあった。天皇様は青のすべすべした布に、無数の星と半月の刺繍のある衣をまとい、刀を身近に持っていた。頭には帽子がなく、何の飾りも無かった。髪をきつく結い上げ、色紐で結んであった。
天皇様はスペイン王が私にする様、出来る限りの事をしたいので何なりと側近に言いつける様に、と言われた。私は天皇様に感謝し、御手に接吻いたします、と言った。
やっとMeako(都、つまり江戸の事)に着いた。世界にその偉大さで知れわたった所である。
都にはドミニコ修道会とフランシスコ修道会の僧院が3つあった。『フランシスコ修道会』の『はだしの神父会』の家に泊まり、クリスマス・イブに大勢のキリスト教信者がミサに集い、祝うのを見て感動を隠しきれなかった。Yendo(江戸の事)には、王子様が国内唯一公認したフランシスコ修道院がある。
仏教の僧侶達が集まり、天皇様にキリスト教修道士を国外追放する様に求めた。天皇様は僧侶に、日本国内にいくつの宗教・宗門があるか尋ねた。僧侶は35あると答えた。天皇様は35の宗教・宗門があるならば36になっても差し支えなかろう、住まわせてやれ!とお言い付けになった。」

フィリピン総督ビベロ伯爵と徳川家康の会見は、いよいよ本題に入って参りますが、その前に家康はビベロ伯爵に思いもかけない質問を二つしたのです。
その一つは、スペイン人のファッションについてでありました。。。

その3につづく。 どうぞお楽しみに。


(この記事は、メキシコ国立自治大学 田中都紀代様よりご寄稿いただきました)


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