---

海外旅行情報はOTOA[ 一般社団法人 日本海外ツアーオペレーター協会 ]


【海外旅行現地情報】ツアーオペレーターが配信する海外の新着情報を掲載。

メキシコ / メキシコの鉄人が行く! 旅日記 〜 「タイルの家」の物語−その5

掲載日時:2008年10月10日

情報提供:株式会社メキシコ観光

前回の話から続く、メキシコが誇る文化遺産「タイルの家」の話の第5話となります。
(前回の話は、下記URLをご参照ください)
 第1話 http://www.otoa.com/home/news_ditail.php?serial=13785
 第2話 http://www.otoa.com/home/news_ditail.php?serial=14056
 第3話 http://www.otoa.com/home/news_ditail.php?serial=14223
 第4話 http://www.otoa.com/home/news_ditail.php?serial=14426


前回は、なぜビベロ伯爵の報告書の中で武家の棟梁の称号である「征夷大将軍」徳川家康が「Emperador Taikosama」(皇帝・太閤様)になったのかを見てまいりましたが、報告書の中の「不思議」はこれで終りではありませんでした。

と言うのは、この文書は当時のスペイン王 フェリッペ三世(在位1598〜1621)宛てではなく、既に10年以上前に他界している父王 フェリッペ二世に宛てに書かれていたからです。
もし「二世」と「三世」が印刷の間違いでなければ、これは「死者への手紙」だったのです。
なぜ、この様な事をしたのでしょう。まさかビベロ伯爵が、本国の王位がフェリッペ二世からその子の三世へ移った事を知らなかったはずはありません。とするとビベロ伯爵は、現国王であるフェリッペ三世を明らかに無視していたのです。
そんな事が実際に可能なのでしょうか。これには何か深い訳があるに違いありません。

まずここで、ビベロ伯爵に黙殺されたフェリッペ三世のプロフィールを見てみましょう。
彼はスペイン王であり、かつ神聖ローマ帝国皇帝のカルロス五世の孫でありました。
カルロス皇帝の統治した神聖ローマ帝国は「日の没することなし」と豪語されたほど広大で、北はオランダから南はスペイン、イタリアまでの全ヨーロッパ、それに植民地であるラテンアメリカやフィリピンまでわたっておりました。
※※余談ですが、
メキシコには「カルロス五世」(Carlos V)というチョコレートがあり、そのパッケージには皇帝の雄姿がプリントされています。

皇帝 カルロス五世は神聖ローマ帝国を弟に、スペイン、イタリア、オランダと植民地、ラテンアメリカ、フィリピンを息子のフェリッペ二世に譲っています。フェリッペ二世も中々の人物ではあったそうですが、その息子のフェリッペ三世は広大な領地を維持出来ず、実際にプロテスタント化したオランダを失っているのです。
彼はマドリード発行の「スペイン史」に「無形以上の存在であった」と評されるほど目立たない王でありました。
帝王学教育をしっかりと受けてはいたらしいのですが、本人は病弱でメランコリー、かつ信心深く、礼拝堂に引きこもってはお祈りに明け暮れる毎日を過ごしていたと言います。

父王のフェリッペ二世は、こんな息子の行く末を心配し、腹心の部下を補佐役に就け息を引き取りました。しかし父王のフェリッペ二世の死後、フェリッペ三世はこの補佐役を退け、自分のお気に入りのレルマ公爵を側近とし、かつ全権を彼に委ねたのでした。
「スペイン史」(マドリード発行)には、レルマ公爵は金銭欲と名誉欲に長け、スペイン国を腐敗へと導く事にかけては有能以上であったが、現実の政治には無能振りを発揮したと書かれています。
こんな側近 レルマ公爵のせいで本国の経済は悪化し、ラテンアメリカ植民地からの収入でやっと国政を賄うほどになっていたのです。そしてその収入の約半分がメキシコからのものでありました。

レルマ公爵の悪政はスペイン全土の反発を呼び、やがて失脚するのですが、同時にフェリッペ三世も失望のあまり他界してしまったのです。王様と言えども、やはり三代目ともなると何かと大変な様です。
一方、父王のフェリッペ二世はカトリック護将の使命感に燃え、イスラム教トルコ軍をレパント海戦で破り、又、プロテスタントの攻撃にも立ち向かって行った事で、とても人気のある王でありました。又、1584年とその翌年の2回にわたり、日本からやって来た「天正少年遣欧使節」と会ったのもこの父王であるフェリッペ二世でありました。

ビベロ伯爵の人生と出世は、この父王フェリッペ二世と共にあったのです。
報告書をあえて他界したフェリッペ二世に宛てたのは「レルマ公爵に操られる息子 フェリッペ三世を自分の王とは認めない」という強い気持ちの表れではないでしょうか。
フェリッペ三世の存在がいかに無形であったかは、二代将軍 徳川秀忠の航海許可公式文書がスペイン王 フェリッペ三世ではなくレルマ公爵に出されている事からも想像がつきます。
ビベロ伯爵が二代将軍 徳川秀忠に「公式文書は国王 フェリッペ三世宛てではなく、側近 レルマ公爵に出す様に進言したのでしょう。
もちろん、ビベロ伯爵の心中はさぞ複雑だったのでしょうが、その進言を受けた徳川秀忠はスペイン国をどう見たのでしょうか。気になるところです。。。


その6につづきます。 どうぞお楽しみに!!!



(この記事は、メキシコ国立自治大学 教授 田中都紀代様がご寄稿くださいました)

当サイトに掲載されている記事・写真の無断転写・複製を禁じます。すべての著作権は、OTOAまたは情報提供者に帰属します。
弊会では、当サイトの掲載情報に関するお問合せ・ご質問、又、個人的なご質問やご相談は一切受け付け ておりません。あらかじめご了承下さい。


【メールニュース】メールニュースの詳細・ご登録はこちら

旅行業界で働いている皆様へ
OTOAでは、旅行業界で働いている皆様に「メールニュース」の配信を行っております。(無料)

【OTOAモバイル】OTOAモバイルの詳細はこちら

携帯からもOTOAにアクセス!
OTOAサイトの豊富な情報がいつでもどこでも見られます。
OTOAモバイル QRコード携帯電話(フィーチャーフォン)でQRコードを読み取るか、URLを送信してアクセスしてください!

海外への渡航の際は、こちらもあわせてご確認を。

外務省提供
観光庁提供
厚生労働省 検疫所情報
国土交通省航空局 提供
  • 機内持込・お預け手荷物における危険物について」