---

海外旅行情報はOTOA[ 一般社団法人 日本海外ツアーオペレーター協会 ]


【海外旅行現地情報】ツアーオペレーターが配信する海外の新着情報を掲載。

メキシコ / メキシコの鉄人が行く! 旅日記 〜 Super Fiesta 400 = 日墨交流400周年 〜 その1

掲載日時:2009年02月27日

情報提供:株式会社メキシコ観光

★その1 --- それは難破船から始まった

日墨交流は意外な出会いから始まった。
1609年9月末、ロドリゴ・デ・ビベロ伯爵を含む317人が千葉県御宿沖に漂着したのです。ビベロ伯爵は当時、スペイン領であったフィリピンの総督であり「任務を果たしてマニラ港よりアカプルコへ向かう途中の1609年9月30日、台風にあい65日間漂流した末、船は難破、船のロープにしがみついて日本へ漂着した。」と、後日、彼の記した「日本見聞記」にあります。

ビベロ伯爵家は、約300年にわたるメキシコ植民地時代を通じ、最も由緒ある貴族でありました。その初代のビベロ伯爵が、千葉県御宿に漂着したのです。彼の「日本見聞記」からその様子を抜粋してみましょう。
「船は岩礁にぶつかり大破、一番勇敢な船員でも、溺れあるいは波に打たれた遺体が50ほど流れていくのを見て、自分もこれで最後かと神に祈り始める始末だった。神の深い慈悲に救われた私たちは、船尾の木材や板切れにつかまったりして、陸に向かった。強靭で運良く陸についた者の中で、服の切れ端でも、わずかに身に着けていたものは幸いだった」。

ビベロ伯爵はこの様に品良く表現していますが、現状は全裸に近い男性317人、それも「強靭」な外国人船乗りが、海辺に横たわる姿は、壮絶であったに違いありません。
彼の「日本見聞記」には、
「彼らは私達の事をを気の毒に思ってくれ、女たちは泣き出すほどであった。日本人は非常に同情心が強い様だ。そして、女たちは夫の服を私たちに貸してくれた。それは『キモノ』といって、綿で出来たものだった。女たちは実に気前良く、私たちにその着物をあてがってくれた」とあります。
この女性たちの行為から「この村の海女達は、自分の体温で漂流者を直接暖め、救出した」という一段と飛躍した美談??が生まれたらしいのですが、これは後日の作の様です。
実際、スペイン語原典「日本見聞記」にはそのような記述は無く、又、「彼らの食料である米、大根や茄子等の野菜のほか、村の浜では漁が出来ないにもかかわらず、魚までしばしばふるまってくれた」とある様に、漁村ではないため海女の存在は難しいと思われます。

しかし、この様なエキセントリックな出来事?は人々の脳裏に深く刻まれ、歴史伝承のパワーになって行くのです。
本当は「ブス」だったらしいクレオパトラ、「トロイの木馬」の絶世の美女へレナ等は、歴史伝承のサービス残業の最たるものなのです。

ともかくビベロ伯爵一行は、上記の様村民の手厚い看護を受けた後、徳川家康表敬訪問の旅に出るのです。
後日、その模様をスペイン王に報告しているのですが、当時のメキシコの一流貴族が、どの様に日本を見ていたのかがわかり、かなり興味深いものがあります。


その2につづきます。 どうぞお楽しみに!!!



(この記事は、メキシコ国立自治大学(UNAM大学) 教授 田中都紀代様がご寄稿くださいました)

当サイトに掲載されている記事・写真の無断転写・複製を禁じます。すべての著作権は、OTOAまたは情報提供者に帰属します。
弊会では、当サイトの掲載情報に関するお問合せ・ご質問、又、個人的なご質問やご相談は一切受け付け ておりません。あらかじめご了承下さい。


【メールニュース】メールニュースの詳細・ご登録はこちら

旅行業界で働いている皆様へ
OTOAでは、旅行業界で働いている皆様に「メールニュース」の配信を行っております。(無料)

【OTOAモバイル】OTOAモバイルの詳細はこちら

携帯からもOTOAにアクセス!
OTOAサイトの豊富な情報がいつでもどこでも見られます。
OTOAモバイル QRコード携帯電話(フィーチャーフォン)でQRコードを読み取るか、URLを送信してアクセスしてください!

海外への渡航の際は、こちらもあわせてご確認を。

外務省提供
観光庁提供
厚生労働省 検疫所情報
国土交通省航空局 提供
  • 機内持込・お預け手荷物における危険物について」