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メキシコ / メキシコの鉄人が行く! 旅日記 〜 Super Fiesta 400 = 日墨交流400周年 〜 その2

掲載日時:2009年03月27日

情報提供:株式会社メキシコ観光

★その2 --- 長崎二十六聖人の一人はメキシコ人

※その1は、下記サイトにてご覧下さい。
 http://www.otoa.com/home/news_ditail.php?serial=15394

前回「その1」にて、日墨交流は1609年、ロドリゴ・デ・ビベロ伯爵を含む317人が千葉県御宿沖に漂着した事で始まったとお伝えいたしましたが、実はその12年前の1597年に日墨交流とは呼べない悲惨な出来事がありました。
メキシコ人 フェリペ・デ・へススが長崎で十字架に掛けられ、処刑されたのです。後の「長崎二十六聖人」の一人であります。

彼はフィリピン マニラのフランシスコ派修道院の修道士で、司祭になるためメキシコへ帰航中、日本に漂着したのです。おりしも時は豊臣秀吉の天下「伴天連追放令」の時代に入っておりました。豊臣秀吉の命により26人が殉教しましたが、日本人 20名、スペイン人 4名、メキシコ人 1名、ポルトガル人 1名、全て男性でありました。そしてこれは、最高権力者の指令による最初の処刑でもあったのです。

この日本人殉教者の中に、若干12才の少年 ルドビコ茨木がいたのです。
長崎奉行は少年達を不憫に思い、信仰を捨てる事を条件に助命を持ちかけましたが、ルドビコ少年は「つかの間の命と永遠の命を交換する事は、意味の無い事です」と、この申し出を丁重に断った、と言います。
26人が殉教してから約1ヵ月経った後も「十字架に掛けられたままの一列に並んだ、遺骸が長崎の丘に眺められた」と言われております。
そしてこの遺骸は、日本で最初の殉教者の「聖なる遺品」として、世界各地に送られたのです。
メキシコ人 フェリペ・デ・へススの遺骸もメキシコへ送られ、グアナファト市の大聖堂(Parroquia San Felipe de Jesus)に祀られている様です。

殉教から300年近く経った1862年、この26聖人が聖人の列に加えられた事により、聖フェリペ・デ・へスス(San Felipe de Jesus)はメキシコで初めての聖人となりました。
その後、2000年にローマ法王パブロ二世により、メキシコ宗教戦争殉教者が聖人とされるまでの約250年間、聖フェリペ・デ・へススはメキシコ唯一の聖人として
カトリック信仰の対象であり続けたのです。

この「長崎26聖人」は日本よりも、むしろ海外でよく知られている様です。ここメキシコにも、メキシコシティに近いクエルナバカ市大聖堂の内壁に「長崎の26聖人」の壁画があります。
これは1597年の殉教直後に描かれたもので「EMPERADOR TAICOSAMA(太閤様)」が殉教を命じた、という言葉が大きな文字で書き添えられています。
尚、この壁画は400年ほど前の日本を想像で描いたものですが、思わず絶句!してしまうほど、筆舌に尽くし難い代物です。
その中身は、皆様のご想像にお任せする事としましょう。


その3につづきます。 どうぞお楽しみに!!!



(この記事は、メキシコ国立自治大学(UNAM大学) 教授 田中都紀代様がご寄稿くださいました)

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