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ウズベキスタン / 紙のシルクロード 第3回 〜タレス河畔の戦いとシルクロード〜

掲載日時:2011年05月20日

情報提供:ウズベキスタン政府観光局

サマルカンド、コニギル・メロス工房でのサマルカンドペーパー復興事業でご活躍中の金刺潤平氏による「紙のシルクロード」、第3回目です。
紙の歴史を辿ると、中央アジアの歴史を始め、シルクロードが栄えていた時代を垣間見ることが出来ます。



第3回 〜タレス河畔の戦いとシルクロード〜
サマルカンドでシルクロードの跡を見ることが出来ないかと聞いて、赤面したことがある。 砂漠の中に延々と続く道を想像してしまうのだが、絹の道は交易ルートであって道路を示すものではないと説明された。 考えてみれば、砂漠の上に書いたように道が作れるはずもない。
キャラバンによる交易が始まる以前、中央アジアの遊牧民たちは移動を繰り返していた。 この移動は、異民族間の接触を生み、時として衝突したり物や情報のやり取りが行われていた。 紙は、一世紀の後漢時代に中国で蔡倫によって発明され、751年にタレス河畔の戦いをきっかけに唐の捕虜兵がサマルカンドに伝えたというのが定説になっているが、それ以外にも説は山のようにある。 少なくとも8世紀よりかなり古い時代から、中央アジアでは遊牧民によって紙やその情報が伝えられていたのではないだろうか。
では、唐の捕虜兵は、サマルカンドに何を伝えたのだろう。 チンギス・ハーンに滅ぼされた旧サマルカンド、アフラシアブの丘にある博物館には、ネアンデルタール人から始まる歴史を見学することが出来る。 古代から高いモノづくり技術力があったのだ。特に治金、焼き物、ガラスといった高温の炎を操る技術が目を引く。 紙の原料処理に用いられる硝石灰は、石灰岩を高温で焼いて作る。
サマルカンドの高い技術力と紙を結びつけたのがタレス河畔の戦いだったのかもしれない。

(文: 金刺潤平)


※写真左 --- 古代のたたら(溶鉱炉)。石灰岩を1,100度で焼いていたのではないかという説がある。
※写真右 --- アフラシアブ博物館に所蔵されている古代の人顔像。

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