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台湾 / 台湾の温泉

掲載日時:2002年03月08日

情報提供:アイティオージャパン株式会社

 台湾には元々温泉は多いのだが、文化の違いというか、特に女性は「他人に肌を見せたくない」という観念が強く、そのため温泉地では「個室風呂」が作られ、また温泉旅館でも部屋の中には必ずといっていい程温泉を引いているが、日本のように見張らしのいい所に大衆浴場を設けるのではなく、地下室のうす暗い場所になっていたり、さらに露天風呂なんていうのはほとんどなかった。

 ところがここ2〜3年のうちにいつの間にかSPAブームになり、台北市だけでなく、全島各地にSPA浴場が林立し、台湾人は「泡湯」といって、水着着用で「混浴」?を楽しむようになった。それ故、各地温泉地でも都会に負けず、施設を作り直したり、SPAを増設したりして、「泡湯なら本場の温泉地へ」というキャッチフレーズでしきりに宣伝に努めており、今までありながら本格的に利用していなかった温泉資源の見直しに乗り出してきたようだ。
 ちなみに「泡湯(パオタン)」というのは、つまり泡に包まれたお湯、またはお湯につかるという意味で、本当にうまく温泉を表現している言葉だと思う。

 そこで台湾各地の温泉地を紹介しようと思い立ったのだが、やはり文章には前文というものが欠かせないので、今回はまず「台湾温泉の歴史」から紹介していきたいと思う。

1.台湾温泉の歴史

 台湾の面積は九州の約6/7しかないが、ここには3千メートル級の高山が132もあり、また環太平洋火山地帯に属し、活火山こそないが、火山脈が台湾の中央を通っているので、古くから温泉はあったものと推測される。実際に現在でも地表から温泉が自噴している場所もかなりあり、漢人よりさらに古くから住んでいた原住民が昔河原などで簡易露天風呂としゃれて楽しんでいたと推測してもおかしくないと思う。

 文献の記載によると、1893(明治7)年、ドイツ人コウ物学者クゥエリィ(Quely)博士が北投へ来て温泉を発見したと言われている。1896(明治30)年、すでに日本の統治下で、大阪商人平田源吾氏が北投に「天狗庵」という名の温泉旅館を開設したのが台湾に於ける温泉旅館の始まりであった。

 1905(明治39)年、日露戦争で負傷した日本兵士療養のために、北投に陸軍偕交社を建設した。その後「養氣湯」「吟松閣」、そして現在尚健在の「星乃湯」(逸邨大飯店)、「滝乃湯」などが建てら、多い時には旅館、料理屋、クラブなど60〜70軒もあり、終戦後、これらの旅館は台湾人に引き継がれて経営され、1970年頃には日本の海外旅行ブームに乗って、芸者に相当する「侍応生」をホテルに呼んで遊興飲食するならわしが世を謳歌し新北投温泉の名物となったが、この制度は1979年11月2日をもって全面的に廃止になった。
 
 当時の日本人による温泉分析によると、無臭透明単純泉、出水温度41〜68℃、神経痛、風湿、皮膚病、慢性肝炎、疲労回復、動脈硬化症、婦人病等々に効能があるとされ、飲むこともできる。
 
 1913(大世)年には孫文が、そして1923(大正12)年には昭和天皇が皇太子時代に北投温泉を訪れている。

(つづく)

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