メキシコの北部砂漠に 忽然と現れたオアシス
アメリカとの貿易の十字路
【パキメの遺跡、カサス・グランデス】
(HISTORIC MONUMENTS ZONE OF PAQUIM、CASAS GRANDES)
チワワ犬で有名なメキシコ北部の都市チワワから220km、カサグランデスの住宅地を抜けた砂漠の中に先住民族文化の遺跡パキメがある。
マドレ・オクシデンタル山脈の北西にある前スペイン時代の遺跡(住居遺構)で、ソノラ州の一部やアメリカのアリゾナ、ニューメキシコ周辺にも同じような遺跡が発掘されていて、1つの文化圏(民族圏)を形成していたと思われる。
パキメには最盛期に約3,500人の住民が生活していたと推測されているが、言語や民族のルーツに付いて詳しい事は判っていない。
但し、その文化にはグランチチメカ(ベラクルス方面)民族の影響―トルテカ文明の影響が見られる事から、南部から来た民族ではないかと推測されている。
パキメの年代に関しては古代(BC600年〜AD1150年)、中期(AD1150年〜1450年)、後期(AD1660年〜1686年)の3段階に分けられている。
文明的に発展を遂げたのは中期であり、更に発展期の��ブエナ・フェ��時代、絶頂期の��パキメ��時代、衰退期の��ディアブロ��時代に分けられる。
��パキメ��時代には階層のある建造物を幾つも建築し、交易は北部はアメリカ・コロラド南部からメキシコ高原までと広範囲に行われていた。
しかし、��ディアブロ��時代には侵略者によって都市は破壊され放棄された。
��ブエナ・フェ��時代から住民は丸型で少し深い所に石を敷き詰めた半地下の住居に住んでいた。
住居跡の発掘によって木の枝や草を葺いて天井を作っていた事が判っている。
��パキメ��時代になると階層式の床の建物が建てられるようになった。
それらの建造物は、日干しレンガで造られたのではなく、模りをした泥と硝石によって造られ、白く塗ったり彩色を施していた。
天井は松の木の板を支えにしてその上に草の繊維を敷き、たくさんの泥と土を置いた。
入り口はT字形に造られ不審者の侵入の防御としていた。
発掘によって多くの装飾品が見つかっている。また、寝室のベッドの下からは墓も見つかっており、壷、宗教的遺物、装飾品、髪の毛、ネックレスなどが見つかっている。
これらは貝殻、銅、動物の骨や木で作られていて、中にはトルコ石の使われているものもある。石版や石棒などの生活道具も見つかっている。
パキメは運河によって引かれた水を都市内に引き込む水路があり、住居内で利用されていた。
都市の下を通る水道管は石が敷き詰められていて、各住居の各部屋に水を貯えておく石壷があった。
「大きな家」という意味を持つカサス・グランデスは、レンガ造りの家が建ち並び、北アメリカとの貿易と文化の発展の歴史を知ることの出来る貴重な町となっている。
月曜日休館。10:00−17:00。併設の博物館も営業日・時間は同じ。
博物館へのビデオ・カメラの持込みは不可。
◎主な遺構
1.かまど跡:メスカル酒を蒸留する為に利用されていた施設跡。
2.十字の丘:上から見るとクルス(十字架)の形をした遺構。 正確に東西南北を指していた。
3.井戸の家:深さ約12mの井戸を持つ家。水は運河から引かれていた。
4.頭蓋骨の家:夥しい人骨が発見されている。
5.死者の家:90体もの埋葬遺体が発掘されている。
6.柱の家:塔の様な遺構が残り、4〜5階まであったと推測されている。
7.蛇の家:鶏の養殖に利用されていた。
8.コンゴウインコの家:交易用のコンゴウインコが養殖されていた。
9.供物の家:推定年齢50歳前後の男性が、大きな壷の中に埋葬されていた。その下からはT字型に掘られた穴から30代〜40代の男性と女性の
埋葬遺体も発見されている。
■国 : メキシコ合衆国
■登録年 : 1998年
■分類 : 遺跡、住居跡の遺構
■時期 : BC600年〜AD1686年
■所在地 : チワワ州、カサス・グランデス
■地質・地形 : 砂漠地形
■アクセス都市、空港 : チワワ(CUU)から陸路約4時間30分。国際線でメキシコシティ(MEX)へ。国内線に乗り換えてチワワ(CUU)へ。
アメリカとの貿易の十字路
【パキメの遺跡、カサス・グランデス】
(HISTORIC MONUMENTS ZONE OF PAQUIM、CASAS GRANDES)
チワワ犬で有名なメキシコ北部の都市チワワから220km、カサグランデスの住宅地を抜けた砂漠の中に先住民族文化の遺跡パキメがある。
マドレ・オクシデンタル山脈の北西にある前スペイン時代の遺跡(住居遺構)で、ソノラ州の一部やアメリカのアリゾナ、ニューメキシコ周辺にも同じような遺跡が発掘されていて、1つの文化圏(民族圏)を形成していたと思われる。
パキメには最盛期に約3,500人の住民が生活していたと推測されているが、言語や民族のルーツに付いて詳しい事は判っていない。
但し、その文化にはグランチチメカ(ベラクルス方面)民族の影響―トルテカ文明の影響が見られる事から、南部から来た民族ではないかと推測されている。
パキメの年代に関しては古代(BC600年〜AD1150年)、中期(AD1150年〜1450年)、後期(AD1660年〜1686年)の3段階に分けられている。
文明的に発展を遂げたのは中期であり、更に発展期の��ブエナ・フェ��時代、絶頂期の��パキメ��時代、衰退期の��ディアブロ��時代に分けられる。
��パキメ��時代には階層のある建造物を幾つも建築し、交易は北部はアメリカ・コロラド南部からメキシコ高原までと広範囲に行われていた。
しかし、��ディアブロ��時代には侵略者によって都市は破壊され放棄された。
��ブエナ・フェ��時代から住民は丸型で少し深い所に石を敷き詰めた半地下の住居に住んでいた。
住居跡の発掘によって木の枝や草を葺いて天井を作っていた事が判っている。
��パキメ��時代になると階層式の床の建物が建てられるようになった。
それらの建造物は、日干しレンガで造られたのではなく、模りをした泥と硝石によって造られ、白く塗ったり彩色を施していた。
天井は松の木の板を支えにしてその上に草の繊維を敷き、たくさんの泥と土を置いた。
入り口はT字形に造られ不審者の侵入の防御としていた。
発掘によって多くの装飾品が見つかっている。また、寝室のベッドの下からは墓も見つかっており、壷、宗教的遺物、装飾品、髪の毛、ネックレスなどが見つかっている。
これらは貝殻、銅、動物の骨や木で作られていて、中にはトルコ石の使われているものもある。石版や石棒などの生活道具も見つかっている。
パキメは運河によって引かれた水を都市内に引き込む水路があり、住居内で利用されていた。
都市の下を通る水道管は石が敷き詰められていて、各住居の各部屋に水を貯えておく石壷があった。
「大きな家」という意味を持つカサス・グランデスは、レンガ造りの家が建ち並び、北アメリカとの貿易と文化の発展の歴史を知ることの出来る貴重な町となっている。
月曜日休館。10:00−17:00。併設の博物館も営業日・時間は同じ。
博物館へのビデオ・カメラの持込みは不可。
◎主な遺構
1.かまど跡:メスカル酒を蒸留する為に利用されていた施設跡。
2.十字の丘:上から見るとクルス(十字架)の形をした遺構。 正確に東西南北を指していた。
3.井戸の家:深さ約12mの井戸を持つ家。水は運河から引かれていた。
4.頭蓋骨の家:夥しい人骨が発見されている。
5.死者の家:90体もの埋葬遺体が発掘されている。
6.柱の家:塔の様な遺構が残り、4〜5階まであったと推測されている。
7.蛇の家:鶏の養殖に利用されていた。
8.コンゴウインコの家:交易用のコンゴウインコが養殖されていた。
9.供物の家:推定年齢50歳前後の男性が、大きな壷の中に埋葬されていた。その下からはT字型に掘られた穴から30代〜40代の男性と女性の
埋葬遺体も発見されている。
■国 : メキシコ合衆国
■登録年 : 1998年
■分類 : 遺跡、住居跡の遺構
■時期 : BC600年〜AD1686年
■所在地 : チワワ州、カサス・グランデス
■地質・地形 : 砂漠地形
■アクセス都市、空港 : チワワ(CUU)から陸路約4時間30分。国際線でメキシコシティ(MEX)へ。国内線に乗り換えてチワワ(CUU)へ。
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