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エジプト アレキサンドリア / 紀元前332年アレキサンドリアは、地中海のマーメイド

掲載日時:2003年04月25日

情報提供:エジプト大使館エジプト学・観光局

アレキサンドリアは貿易の中心地、美しいビーチリゾートといった港町だけではありません。ギリシアやローマ文明を融合した古代エジプトの都市です。
歴史を通して、ヨーロッパと地中海沿岸諸国の玄関口であり、ファラオ時代、コプト教、イスラム文明などの歴史的建造物があります。

こうしたことから、今なお学術における文化の中心地として息づいています。


■ 歴史と文明

アレキサンダー大王が地中海からエジプトに進軍すると「ラコダ」と呼ばれた古代エジプトの村にギリシアの都市をモデルとしたエジプトの新しい首都を築き、アレキサンドリアと名付けました。紀元前331年のことです。

アレキサンドリアは当時、世界で一番優れた都市となりました。
150,000人の住民で構成された3つの都市に分かれ、オリンピックスタジアム、巨大な円形劇場、華麗な庭園、2本のオベリスクがありました。

アレキサンダー大王が死去すると、プトレマイオス1世(紀元前304〜283年)が、エジプトの支配者となり、行政、商業、文化の中心としてアレキサンドリアを継承しました。700,000冊を誇るアレキサンドリアの大図書館は、古代において蔵書数世界一です。

プトレマイオス1世は2ヵ所に港を建設し、世界の七不思議の一つに数えられる有名なファロス島の大灯台の建設を始めます。
その灯台は、彼の後継者プトレマイオス2世(紀元前285〜246年)の治世に完成しますが、地震によって倒壊してしまいました。

紀元前31年、ローマ人がエジプトに来たとき、アレキサンドリアがエジプトの首都とし、ヨーロッパへの主要輸出港として町は繁栄しました。

621年、アラブ人はアレキサンドリアへ入り、アラブ社会運動が起こりました。
文化と教化の中心となったアレキサンドリアへは、東洋と西洋から学者が集まり、巨大な建造物、宮殿のみならず、学校や学術協会なども数多くありました。
貿易も産業同様に栄えていきました。木彫りや建造物のみならず、ガラス、陶器、織物産業なども隆盛していました。
さらにアレキサンドリアはエジプト海軍の拠点となったファタミドの時代に世界でも有名な造船の中心地となりました。

19世紀、ムハンマド・アリや彼の後継者の治世時にエジプトの他の町と同様に、カイロからアレキサンドリアへ鉄道が敷かれます。
その都市の発展と近代化は現在まで続いています。
巨大な船が建設され、港が発展して近代的な都市の一つとなり、研究者や学者を輩出したアフリカン・フランコフォンのセンフォー大学のような文化的な大建造物があります。


アレキサンドリアは陽光な気候に恵まれ、美しい景観が広がっている地です。
プトレマイオス朝、ローマ時代、ビザンチン時代、アラブ時代の建造物や博物館があり、白浜のビーチが地中海に沿って20km以上も広がっています。
まさに「地中海のマーメイド」と呼ぶにふさわしい都市です。


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