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メキシコ / メキシコの鉄人が行く! 旅日記 〜 メリダの謎、ベルサイユ風宮殿ここにあり 〜

掲載日時:2007年12月28日

情報提供:株式会社メキシコ観光

メリダといえばマヤ遺跡とお思いでしょうが、それは500年以上昔の話。100年前のメリダは、ベルサイユ宮殿と見紛う豪邸の建ち並ぶ町であったとのこと。
「メリダに宮殿?」、この謎を追って当地へと旅立ったのでありました。

メリダの町の真ん中を横切っている「MONTEJO大通り」は、道幅が広く歩道も広々しているので、スペイン語を耳にしなければ、パリのシャンゼリゼ通りと錯覚しそうになります。「オーシャンゼリゼ、オーシャンゼリゼ・・・」と歌い出したくなるのは、私の歌才か(ソレハ、ナイネ!)、それとも周囲の環境か?(ソノヨウデス)。
実はこの大通り、シャンソンの似合うフランス風豪邸の建ち並ぶ「メリダ版 シャンゼリゼ通り」なのでした。メキシコ市では見たこともない豪邸、というより宮殿がメリダの大通りに建ち並ぶ様子は謎めいていて「どうして、こうなったの?」と追求したくなるではありませんか。

メリダにフランス風豪邸が出現した謎は、三つのキーワードで解けるといいます。
それは「マゲイ」(メキシコに自生する植物)、「ロープ」、「産業革命」だそうで、この三つのキーワードでメリダ宮殿の謎解きが出来た方は天才です! 私にはチンプンカンプン、ヒントにもならないキーワードでありました。
私に残された道は、体力、短足歩行、言語行動、厚顔無恥で体当たりするしかないと決意を固め、ホテルのフロント、ツアーガイドに「どうしてメリダに宮殿があるの?」と聞きまくったのでした。

まずキーワードである「マゲイ」、「ロープ」の謎を解くには「今でもマゲイを栽培している農園があるので、そこで現地調査するのがよい。そこへは観光ツアーで行けるからネ・・・」と商魂たくましいガイドの進言で、ツアーに参加することとなりました。
メリダ市からバスで2時間走ると、メリダの奥地に到着。しかし目指すマゲイ農園の姿はどこにも無い! 目に写るのは中世の城壁の様な、どこまでもどこまでも続く壁ばかり。
その正門をくぐり中に入ると、マゲイどころかまたもメリダ風宮殿が登場。
農園を訪ねたのに宮殿に再会するとは話が違う! いったいマゲイは何処? とガイドに詰め寄ると、ここは100年ほど前まで農園ではなく荘園であったとのこと。その違いはというと、農園は「会社」、荘園は「領地」で、領主が現地のマヤ人を農奴、つまり奴隷として使いマゲイ栽培をさせていたとのことでした。

正門入口の宮殿は領主の現場視察用仮の住まいで、本宅はメリダ市で見た大宮殿であるという。本命のマゲイ畑は、この仮宮殿の裏にあると案内されて行ってみると、畑などと言う生やさしいものではなく、見渡す限り無限に広がるマゲイ、マゲイ、マゲイだけの領地が広がっていたのでした。そこに農奴の小さなマヤの家が点在しており、その一軒からマヤのお爺さんが手を振っていてくれたのでした。
彼の家族は代々そこで働き、彼は今も昔ながらのマゲイ栽培をしているそうで、マヤ語を交えて仕事振りを実演してくれました。お爺さんの説明のお陰もあり、マゲイは成長するまで7年かかることや、成長したマゲイの下葉を数枚切り取って果肉をとり除き、マゲイの繊維を取り出しそれを束ねてロープにするということがわかったのです。
今では観光スポットとなったこの荘園も、お爺さんの親の代までは「領地を囲む城壁から逃げ出せない農奴の生活を送っていた」といいます。その時代、マゲイは「緑の金」(ORO VERDE)と呼ばれ、巨額の富を生み無数の宮殿を造らせたのです。
なぜならマゲイ製ロープは、当時の産業にとって必要不可欠、これまでの綿製ロープに取って替わる、丈夫で長持ちするロープだったからです。

ロープで億万長者になれたのは「産業革命」のお陰でしょう。機械技術の進歩により工業化が進みあらゆる商品の生産量が倍増、又、海上輸送船も帆船から大型蒸気船へと移行したこの時代、大量生産された商品はこの大型船に載せて、アメリカ・ヨーロッパ間を海上輸送されておりました。今ならコンテナで運べる商品も、当時はロープで縛るしか方法がなかった事や、又、船には何かとロープが必要だったことなどから、このマゲイ・ロープが大変重宝されたのです。1880年には世界のロープの90%が、メリダ産マゲイ・ロープであったともいわれています。
「ロープを造って、宮殿を建てよう! エイ!エイ!オー!」と荘園領主が叫んだという記録はないが、きっと心の中で雄たけびを上げたに違いないと思うのは私だけではないはず・・・。

しかし諸行無常、栄枯盛衰、ロープ薄命、宮殿中止は、第一次世界大戦の時代にやってきたのです。それは「メリダにばかり儲けさせる事はない」と、列強国が自分の植民地の中でメリダの気候に似た所(例えば、マダガスカルやフィリピン等)で、マゲイ栽培を始めたからです。
その上、しばらくするとナイロンも発明されたため、マゲイ・ロープの売れ行きは激減し、宮殿建築も夢と消え去ったのです。
メリダの宮殿がフランス風なのは、1880年からメキシコ革命の発生した1910年まで、当時のメキシコ大統領 ポルフィリオ氏がフランスかぶれで、そのフランス文化の影響があったためともいわれています。


(この記事は、UMAN大学 田中都紀代様がご寄稿くださいました)