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クロアチア [ Republic of Croatia ]

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クロアチア / 世界最小の町「ホゥム」

掲載日時:2010年03月02日

情報提供:クロアチア政府観光局

世界記録を集めたギネスブックによれば、人口17人の「ホゥム」は、世界で最も小さな町ということです。その世界最小の町は、イストゥラの中央部にあります。ブゼトゥ自治体の一部で、ブゼトゥからは14km離れています。
そこまでは車やエクスカーションのバスで行けますが、より良く観光スポットを見学したり風景の美しさを楽しんだりするために、徒歩で来る人も多いです。最も興味深いルートは、グラゴリツァ(グレゴル)と呼ばれる文字を使用していた牧師たちの名前から「アレヤ・グラゴリャシャ」と呼ばれる道で、それはロチとホゥムを繋ぐ道路ですが、その周りの草原には大きな石の記念碑が立っており、それぞれがグラゴリツァの文字を表しています。1977年に立てられたチャ方言協会記念碑から始まり、ホゥムの門で終わります。
ホゥムは11世紀からグラゴリッツァで最も有名な町の一つでした。グラゴリッツァはここで20世紀の初めにも使用されており、現在もホゥムやその周りの地域でその古いグラゴリツァ記念碑、あるいは現代の標識などにても見られます。

ホゥムの姿は11世紀、つまり中世から変わっていません。その時代には元々あった古い要塞の跡にホゥム要塞が築かれ、未来の町となる多くの家が並んで建てられました。当時、イストゥラの一部分は、偉大なフランク王国の支配下にありました。辺境伯のウルリヒ一世は自国の国境にあった要塞の修復や建設を行いましたが、ホゥムのそれもその内の一つです。
1102年にウルリヒ2世はホゥムといくつかの町をアクイレイアの総主教の所有としました。認可書では「カストゥルム・コルム」(castrum Cholm、古いクロアチア語ではHlm)と記述され、それにより長い歴史を持つホゥムが初めて書面に出てきたのです。それによって、要塞都市としてのホゥムの歴史が始まりました。
それから17世紀までの記録には、ホゥムは「castrum」、つまり要塞と表記されてきましたが、現在では重要な遺産が残る町で、よく保存されている中世初期の城壁内だけで発展してきた都市の珍しい例の一つです。
ホゥムでは町の発足から現在まで町の城壁外にほとんど何も建てられず、集落は中世初期に定められた境の中に留まっています。

ホゥムには12世紀後半、つまり町がアクイレイア総主教庁によって治められていた時代のフレスコ画が残っており、それはきっと総主教によって依頼された作品だと見られています。作者は分かっていませんが、その作品からはフレスコ画をよく知り、偉大な才能を持った人物であったことが見て取れます。ホゥムのフレスコ画は他に類を見ない芸術作品で、イストゥラだけでなくこの一帯にある他の似たような作品とは比べられません。ロマネスク様式で描かれていますが、ビザンチン様式の絵画の影響も受けています。
ホゥムの墓地にあるロマネスク様式の聖イエロリム礼拝堂では、質が高く非常に古い壁画の一部が残っています。


※詳細はこちら
 イストゥラ州観光局
  URL http://www.istra.hr/ (クロアチア語、英語他)
 ブゼトゥ市観光局
  URL http://www.tz-buzet.hr/ (クロアチア語、英語他)