日月潭の『涵碧楼』、(現在は『ラルー』)は、1999年9月21日の台湾中部を震源とする大地震で倒壊してしまいましたが、震災後、台湾最高レベルを目指した再建が始められ、2年半の時を経て、3月3日、陳水扁総統のテープカットにより華々しくグランドオープン致しました。
再建の運営を担当したのは、バリ島の『ザ・レギャン』や、ランカウイ島の『ザ・ダタイ』等を運営する、世界的有名リゾート、アマンリゾーツの姉妹チェーン『GHM』。
外国人デザイナーの手により、改造、増築部分を加えており、部屋の広さは25坪(約82.5平方メートル、約50畳)から、
全室レイクサイドです。
各客室には ヒノキを使ったバスタブや、屋外のシャワー、リビングがつくなど、他のGHMリゾートと並ぶゴージャスさ。 プール付きビラもあるほか、プール、スパ、ミーティングルーム、ライブラリー、ブティック、レストランなどを備え、日月潭で初の本格的なリゾートホテルとして期待されています。
台湾の報道では、グレード、プライスともに、台湾最高の『7つ星』という評価を受けました。
■ 涵碧楼 流転の歴史 ■
1916年、当時の政府は、日月潭付近に鉄道を作って、サトウキビと砂糖を運搬しましたが、これが観光ブームの先がけとなり、伊東という人が湖畔に豪邸をたて『涵碧楼』と名づけました。これが『涵碧楼』の始まりです。
その後、この地区で大地震が発生しましたが、建物がビクともしなかった事から注目を浴び、政府高官、富裕層のバカンス等に次第に多用される事となりました。
しかし、その場所に水力発電所が建設される事から移転を余儀なくされ、その後、台中州廟が受け継いで、現在の場所に2階建ての招待所を建築しました。
1923年、時の東宮殿下(昭和天皇)の台湾行幸にあたり、さらに8室を擁する貴賓館を増築してご宿泊所とし、発電所落成の式典では更に増築の手が加えられました。
1940年には火災が発生しましたが、全焼には至らず辛うじて概観を留めました。
湖畔最高グレードの宿泊施設であった涵碧楼は終戦後、蒋介石総統の館となり、ベールに包まれた『高嶺』の存在と
なりました。
蒋介石他界の後は、ほとんど放置の形となり老朽化が著しくなっておりましたが、近年、南投県政府が回収。
修建計画をたて、再スタートにむけ着々と計画をしていた矢先、実現前に1999年の9月21日の大地震に遭い、倒壊してしまったのです。
震災後、南投県政府は民間資本(GHM)と提携して今回のリニューアルオープンの運びとなりました。
改名された、『ラルー』 とは、日月潭の先住民族名からとったものだそうです。
再建の運営を担当したのは、バリ島の『ザ・レギャン』や、ランカウイ島の『ザ・ダタイ』等を運営する、世界的有名リゾート、アマンリゾーツの姉妹チェーン『GHM』。
外国人デザイナーの手により、改造、増築部分を加えており、部屋の広さは25坪(約82.5平方メートル、約50畳)から、
全室レイクサイドです。
各客室には ヒノキを使ったバスタブや、屋外のシャワー、リビングがつくなど、他のGHMリゾートと並ぶゴージャスさ。 プール付きビラもあるほか、プール、スパ、ミーティングルーム、ライブラリー、ブティック、レストランなどを備え、日月潭で初の本格的なリゾートホテルとして期待されています。
台湾の報道では、グレード、プライスともに、台湾最高の『7つ星』という評価を受けました。
■ 涵碧楼 流転の歴史 ■
1916年、当時の政府は、日月潭付近に鉄道を作って、サトウキビと砂糖を運搬しましたが、これが観光ブームの先がけとなり、伊東という人が湖畔に豪邸をたて『涵碧楼』と名づけました。これが『涵碧楼』の始まりです。
その後、この地区で大地震が発生しましたが、建物がビクともしなかった事から注目を浴び、政府高官、富裕層のバカンス等に次第に多用される事となりました。
しかし、その場所に水力発電所が建設される事から移転を余儀なくされ、その後、台中州廟が受け継いで、現在の場所に2階建ての招待所を建築しました。
1923年、時の東宮殿下(昭和天皇)の台湾行幸にあたり、さらに8室を擁する貴賓館を増築してご宿泊所とし、発電所落成の式典では更に増築の手が加えられました。
1940年には火災が発生しましたが、全焼には至らず辛うじて概観を留めました。
湖畔最高グレードの宿泊施設であった涵碧楼は終戦後、蒋介石総統の館となり、ベールに包まれた『高嶺』の存在と
なりました。
蒋介石他界の後は、ほとんど放置の形となり老朽化が著しくなっておりましたが、近年、南投県政府が回収。
修建計画をたて、再スタートにむけ着々と計画をしていた矢先、実現前に1999年の9月21日の大地震に遭い、倒壊してしまったのです。
震災後、南投県政府は民間資本(GHM)と提携して今回のリニューアルオープンの運びとなりました。
改名された、『ラルー』 とは、日月潭の先住民族名からとったものだそうです。


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