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エジプト [ Arab Republic of Egypt ]

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エジプト / エジプト考古学隊はファラオ時代にあった鋸状の胸壁を明らかに

掲載日時:2004年08月03日

情報提供:エジプト大使館エジプト学・観光局

エジプト考古学隊が、北シナイ半島のエジプトへの古代東部ゲートウェイでファラオ時代の城砦の上部にあった胸壁を発見したことを、文化省は明らかにしました。
長年にわたり干上がったナイル川の支流にある古代都市、ハル(Tharu)の地域に建てられた3つの要塞もあります。

鋸状の胸壁は、古代エジプトからアジアへの重要な商業と軍の幹線道路であった古代ホルス通り沿いに建っています。スエズ運河の東およそ20マイル(約32.2km)で発見された鋸状の胸壁は、幹線道路に沿って造られ、防御壁の役割を果していました。
エジプト最高考古庁のザヒ・ハワス長官は、ホルス通りは紀元前2000年頃の中王国時代に始まり、紀元前323年頃のローマ・ギリシア時代まで要塞化されていたと、述べています。
一つの地域に3つの要塞があり、それぞれ別の遺跡の上に建てられていることから、東からナイル川流域への入口としてハルの町が特に戦略上重要な遺跡であったことが確証されたと、ザヒ・ハワス長官は述べています。

発見された遺物は、紀元前17世紀、エジプトを侵略したと信じられているヒクソスの支配下時代にさかのぼる要塞です。要塞は紀元前16世紀、カモセ王とアハモセ王がヒクソスを追放した時の戦いで破壊されてたのではないかと述べています。
紀元前1318年から1304年に君臨したエジプトの偉大なるファラオの1人であるセティ1世は、ホルス通りに沿って従軍を始動しました。セティ1世の功績はルクソールのカルナック神殿のレリーフに残っています。

他のは、紀元前16世紀から14世紀にさかのぼる要塞化した町の南の壁を含む鋸状の胸壁です。最後のは、ヒクソスに支配された時代から紀元前525年頃のペルシアに支配された時代まで使われた要塞です。